itsukichang

フロントエンドが得意なエンジニア.ダーツと旅行とギターが好き

なっとくいかない研究論文の謎

最近,研究論文を読んだり自分で書いたりしているうちによく分からなくなってくることがあるのです.

根拠はどこまで調べる?

研究背景などを書く際に,「近年~~になって来ているが~~」とか「~~するときに~~ということがある」というような書き方をよく目にしますよね.
このいわゆる前提の部分についての根拠はどの程度示すべきなの?
ある程度自明な部分は省略しても良い?でもその自明ってどの範囲の人までがそう感じるまで?
例えば「人は月日の経過とともに老いていくが~~」みたいな事はほぼ全ての人類が把握していることだけど,「人は昼の方が活動効率が良いとされるが~~」とかになってくるとちょっと微妙になってこない?僕夜の方が元気だよ.
こういう時は「人は昼の方が活動効率が良い」っていうことを明らかにした文献を引用するべきなの?
こういうの見て「え,そうなの?まじ?」って思うのは単に勉強不足?いや,なんとなく本当っぽいことは分かるんだけど,それって証明されてんの?って気になってしまう.
この前提が数値的なことだとまだ良い,例えば数学や物理の公式とかだとキチンと証明されているから.
ただ量的なものではなく,質的なものだとどうしても何か引っかかる.
でもこんなのいちいち引用してたらキリがない.だから多分論文だと対象の業界で常識となっていることは省略していいんだろうと思うし,たぶんそうなってる.

一般的にそれっぽい

使いたい前提がどこかの文献の結果として出ているならいいけど,そういうのじゃなくて,なんか"一般的にそれっぽい”ものってあるじゃないですか.例えば適当だけど,「女性は虫を怖がる傾向にある」とか.
これって恐らく皆trueだと思うだろうけど,実際本当にそうなの?っていうこと.この例だと何か大規模に調査とかして統計的に正しい一般的な答えが出てるのかもしれないけど,そうやってわざわざ明らかにされてないものっていっぱいあるよねたぶん.
こういう "一般的にはそれっぽいんだけど,たぶん証明はされてないけど,皆こう思ってるよな!" 的な事は前提として扱うべきではない?それとも自分で調査してから書くべき?でも統計的に保証された結果を出すには相応な標本数が必要だと思うし,そこに力いれるのもしんどくないですか?

田中は○○と言っている.

あとよく見かけるのが「田中は○○と述べている[1]」って書いて引用するパターン.
引用元で田中さんが単純に自分の意見,考察として「○○は△△であろう」って書いてるだけの場合,これって根拠として成り立つの?使っていいの?なんか偉い人が言った事が正しいみたいな雰囲気ない?
これ使って良い場合,もし田中さんの意見が間違ってたら共倒れになるよねたぶん.

○○は△△な点で良いと思いますか?

知見を質的なもので表す研究の場合,評価・調査という形でアンケートとか取るの多いと思うんだけど,それって結構自分が都合いい方向に誘導することできない?質問の組み合わせとか,聞き方とかで.
要は「○○のことについて△△な点について良い」っていう結果が欲しい人が,○○の良い側面について触れられるようなデモをしたり,説明をしたりした後に,「○○は△△な点で良いと思いますか?」って聞いたら良いって答える割合が多くなりそうだし,「○○のことについて△△な点について悪い」っていう結果が欲しい人が対照的に○○の悪い側面を見せて「○○は△△な点で悪いと思いますか?」って聞いたら悪いって答える割合が多くなりそう.
どんなことでも良い面悪い面が存在している限り,この調査による誘導ってやり方次第でいくらでもできるんじゃないかと思った.
本当に正しくやろうと思ったら,調査内容が中立なことであることを保証する中立な人が必要になるのかな?

要するに

前提とか根拠とか評価方法とか,色々やり方あってとりあえず論文とか書くの慣れてないから,ある程度真似るところから始めればいいんだろうけど,でもそれって…?みたいなことが付きまとって悶々としてるのです><><><><><


上に書いたみたいなルールとか定石みたいな事について,教えて偉い人!!!!!